社 名 | 株式会社 田中家 | ||||||||||||||||||
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代表者 | 代表取締役社長 田中浩之 | ||||||||||||||||||
資本金 | 1,000万円 | ||||||||||||||||||
創 業 | 1873年3月(明治6年) | ||||||||||||||||||
事業内容 |
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事業所 |
■ 本社
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取引銀行 | みずほ銀行・三菱UFJ銀行・三井住友銀行・関西みらい銀行 |
明治6年 | 3月 | 阿倍野斎場前にて石材の販売斡旋および休憩所を開設し、営業を開始。 |
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大正8年 | 8月 | 本店店舗新築落成、営業の販売拡大をはかる。 全国初のショーウインド形式による石碑および付属品の展示場新設、展示販売方式を採用。 |
大正12年 | 5月 | 本店工場を拡張し近代設備を導入、一貫生産体制をしくアメリカ、ウェステイングハウス社より電動機器を輸入。特に刻字部門機械化を実現し、サンドブラスト機〈空気圧による刻字〉を導入。 業界の先駆者となる。 |
昭和14年 | 5月 | 大阪市営瓜破霊園および服部霊園開設にあたり、瓜破営業所〈約500坪〉を開設。 製品の販売管理の充実をはかる。 |
昭和21年 | 大阪府石材組合再建。田中徳治郎組合長就任。業界発展に努める。 | |
昭和24年 | 6月 | 石材商田中家を法人組織に変更。社名株式会社田中家とする。 |
昭和26年 | 2月 | アメリカのハワイ島に日本人墓地を建設。 |
昭和27年 | 4月 | 奈良県斑鳩町および王寺町の忠魂碑を建設。各表彰を受ける。 |
5月 | 大阪府千早村および河南町の忠魂碑を建設。各表彰を受ける。 | |
6月 | 寝屋川市豊野地区の忠魂碑を建立。表彰を受ける。 | |
8月 | 寝屋川市秦地区の忠魂碑を建立。表彰を受ける。 | |
9月 | 川西市の忠魂碑を建立。表彰を受ける。 | |
12月 | 資本金第1回増資により300,000円となる。 | |
昭和30年 | 7月 | 大阪市戦災者慰霊碑を服部霊園に建設。表彰を受ける。 奈良県川上村の忠魂碑を長期にわたり建設。表彰を受ける。 |
昭和31年 | 5月 | 和歌山県高野山の南海電鉄株式会社、および「金剛峰寺新墓地」建設に参加協力。 |
昭和32年 | 3月 | 近畿石材工業組合を設立。田中徳治郎、初代組合長に就任。 近畿地区業界の発展向上に努める。 |
6月 | 大阪府「箕面霊園」の開発に協力、指定業者として協賛。 | |
昭和40年 | 3月 | 奈良県「王寺霊園」の開発に協力、指定業者として協賛。 |
昭和41年 | 3月 | 奈良市「三笠霊園」の開発に協力、指定業者として協賛。 |
昭和43年 | 3月 | 田中徳治郎、全国石材業組合設立に尽力し、初代副会長に就任。全国石材業会のために努める。 近畿石材業組合、大阪府石材業組合長を兼務。 大阪府「南大阪霊園」の開発に協力、指定業者として協賛。 本社西倉庫を新設拡張し、製品の在庫充実をはかる。 |
11月 | 第2回日本商工殿堂表彰大会において総裁賞受賞する。 | |
昭和45年 | 旭町倉庫を新設拡張し、囲石および付属品の在庫充実をはかる。 | |
昭和47年 | 8月 | 大阪府石材業組合、名称変更により大阪府石材事業協同組合に。 田中徳治郎、初代理事長に就任。事業協同組合の業務に専念し、組合の発展に努める。 |
8月 | 大阪市阿倍野区「大阪市設南霊園」の一部瓜破に移転工事事業に全面的に協力、移転工事完成に努める。 | |
昭和48年 | 3月 | 大阪府住宅供給公社の依頼により枚方市津田地区に点在する墓碑を移転の為、 官公庁への許可申請一切の代行業務を行う。 |
昭和51年 | 4月 | 一般建設業許可を受ける。〈許可番号大阪府知事許可(般-54)第35974号〉 |
5月 | 資本金第2回増資により、1,200,000円となる。 | |
昭和52年 | 10月 | 大阪府住宅供給公社発注による「枚方市津田地区霊園」の新設造成工事及び、 墓碑移動工事事業に全面的に協力、工事完成に努める。 |
昭和53年 | 9月 | 大阪府商工会議所創立100年祭において、100年以上の企業としての功績に感謝状を受ける。 |
昭和54年 | 4月 | 一般建設業更新を受ける。〈許可番号大阪府知事許可(般-54)第35974号〉 |
10月 | 「大阪市営泉南メモリアルパーク」指定業者資格取得。 | |
昭和55年 | 12月 | 資本金第3回増資により、4,800,000円となる。 |
昭和56年 | 4月 | 一般建設業更新を受ける。〈許可番号大阪府知事許可(般-54)第35974号〉 大阪市新都市再開発事業に協力。新社屋工事に着手。 |
昭和58年 | 4月 | 一般建設業更新を受ける。〈許可番号大阪府知事許可(般-54)第35974号〉 |
昭和59年 | 9月 | 「はびきの中央霊園」開発事業着手〈60年開園予定〉 |
12月 | 昭和59年12月現在、胸像台26ヵ所以上設計施工 | |
昭和60年 | 1月 | 大日本除虫菊株式会社の慰霊碑工事を完成 |
3月 | 大阪府此花区伝法町「西光寺墓地」造成移転工事完成 | |
4月 | 一般建設業更新を受ける。〈許可番号大阪府知事許可(般-54)第35974号〉 | |
昭和62年 | 11月 | 新社屋完成 |
昭和63年 | 6月 | 旭町倉庫を第一工場として、改修拡張し、機械設備と石製品の在庫充実をはかる |
平成2年 | 代表取締役 田中亨 全国石製品工業協同組合連合会会長に就任 | |
平成5年 | 10月 | 枚方支店を開設 |
平成6年 | 1月 | 都市再開発にともない、瓜破に工場倉庫を移転 |
3月 | 奈良県川上村に殉国塔を長期にわたり建設 | |
平成9年 | 奈良県丹生川上神社がダム建設により埋没するため、石碑全般の移設工事を行う | |
平成16年 | 12月 | 代表取締役社長に田中裕子就任 |
平成20年 | 4月 | 代表取締役 田中裕子 大阪石材事業協同組合理事長に就任 |
平成25年 | 10月 | 創業140年となる |
平成26年 | 純石組工法を開発 |